プロフィールにあるように5つの会社で広報をしてきました。

最初は地道な報道対応が中心でした。商品や事業に関する記者発表/会見/取材対応 ••• ネタにも恵まれ、それなりに多くの記事を経済紙だけでなく一般紙にも取り上げてもらいました。企業価値を上げることに少しは貢献できたかなと思いながら、やりがいをもって職務に当たってきました。

主要全国紙やブロック紙は新聞の縮刷版として図書館に所蔵され、記事が残ります。大成建設に「地図に残る仕事」という名コピーがありますが、自分の仕事は図書館に残る仕事でもあるんだという小さい誇りも持ちながら広報を続けてきました。

40歳で軸足を広告/プロモーションに移しました。
「待てよ、オレは学生の頃コピーライターになりたかったんだよな。広告の世界に入りたかったんだよな」という初心を思い起こすようになったからです。

学生の頃、1980年代前半は、糸井重里さんをはじめ新進のクリエーターたちが脚光を浴び始めた時代でした。今ほどじゃないにしても、世の中が多様性を受け入れ始め、景気も良く、コピーという極小のフレーズで描かれる世界観と効果が当たり前に目立つようになっていた時代でした。特に西武百貨店やパルコあたりが先端を走っていました。「不思議、大好き。」。ウディ・アレンを起用した「おいしい生活」。あまり有名ではないけれど某保険会社の「髪を伸ばすことが、僕たちの青春だった」なども好きで影響を受けました。

新卒では残念ながらその方向に行けませんでしたが、40歳が良い区切り考えたときに、その世界をもう一度目指したいという気持ちが強くなり、とあるICTサービス企業に転職しました。地道な広報もやる傍ら、企業ブランディングや広告、オウンドメディアの企画/編集、イベント指揮などをやりました。概ねプロデューサーの役割でしたが、自身で広告コピーを作ったり、クリエーティブに携わったり、オウンドメディアの企画/取材/執筆までをやることもありました。

こうした経歴を経て、私ができることと、できないことを以下に列記いたします。


【報道対応について_できること】

●視野の持ち方と関係性づくり
この新製品/新サービスのこと、販売開始のことをどうぞ記事にして下さい。というニュースリリースをつくり、記者会見をコーディネートすることは当然できます。しかしもう少し別の視野も持っているつもりです。他社の同種の商品やサービスを含めたまとめ記事企画を記者に仕向け、その時に自社の商品なりサービスがよいポジションで書かれるようにする。あるいは、この分野であれば当社にはこれだけコメントできる人間がいます。お見知りおきを…そのように視野を先に持ちながら記者との関係性を築きます。

●鼻の効かせ方
記者クラブに投げ込むような本当の意味の発表に持ち込む価値はないけれど、自社のWebにUpするだけの「お知らせ」程度なら…という小ネタを含めて考え始めると情報発信の幅が広がります。この時、鼻の利かせ方がポイントになりますが、そのセンスはそれなりにあるかと思います。商品やサービスの開発担当者も意外とニュース価値を見過ごしている場合があり、そうした情報を吸い上げるネットワークづくりもまあまあです。

●ニュートラルな判断
込み入った技術のことや、デジタルを使ったサービスの仕組みなどを理系のレベルで詳しくはわかりません。しかし、それらがマーケットで置かれたポジションについてはニュートラルに勉強し、むしろ開発者よりも詳しくなれます。メディアの反応についてもたいてい予想できます。

開発者やリーダーなどは往々にして思い入れが強くなり、ちゃんとしたニュースリリースを作る時の妨げになる場合があります。そんなときは「少しでも記事になる確率を上げたり、別の記事企画にお呼びがかかるようにしたければ、こちらの言うことを聞いてください。想定問答でこの数字はしっかり用意してください」などとはっきり言います。あるいは思い入れに反して、まともな記事露出が期待できないと明確に予想される場合は、はっきり「無理です」と言います。他社との共同リリースなどの場合でも同様です。たまに日和ることもありますが。

記者の思い込みを感づいて軌道修正
少なくとも大手新聞社の記者にとってはニュースリリースの内容を企業面で紹介する作業は、やっても自身の評価につながりません。それでいて毎日毎日たくさんの数が届けられます。1人当たり年間で1500本~2000本に目を通します(デスクだと3500本以上)。そのため、言葉は悪いですが大半は「やっつけ作業」となってしまいます(工業紙や産業紙ではまた事情が違ってきますが)。

彼らはまだ世の中に知られていない情報を付加した記事を書いて初めて評価されるため、つい、さあ書くぞと力こぶが入りすぎるあまり、独自の思い込みを伴ったストーリーを抱くことも少なくありません。そして、自分の立てたストーリーに凝り固まった取材をしがちです。それは多くの場合、企業にとって都合の良いものではなく、これを止めることはできません。しかし記者対応の途中で感づいて、軌道修正に挑むことはできます。

●取材対応に関するリテラシーの啓蒙
社会的に影響力の強い企業だと、記者は広報部長ばかりか役員の自宅を調べ上げて“夜討ち、朝駆け”と呼ばれる電話取材を敢行します。このとき往々にして役員がポロっと言ってはいけないことを口走り、波紋を広げることが少なからずあります。また、担当者レベルの取材でも、ついポロっとしがちです。言ってしまったものは仕方がないので100%止めることはできませんが、そうしたことを事前に防ぐために、地道な社内研修や事前レクなどをコーディネートすることはできます。余談ですが、「これはオフレコだがね」と言いながら重要なことを口走ってしまい、広報マンが火消しを試みることは、役員取材などでよくあります。その火を100%消すことはできません。

●制御心
逆に広報であるこちらも、記事にして欲しいあまり、過剰なサービス心で説明しすぎるときがあります(若いときは特に)。それは今ではやりません。

●リークのこと
その商品や技術やサービスの内容があまりに専門的すぎて、ニュースリリース発信に向かない場合。また、そこそこ面白いネタなのに発表時期を逸してしまった場合。そんなときは一紙にだけ話をして書いてもらうリークという手法も使います。“あの事”を黙っていてくれたお礼に後日意図的に特定の記者にだけ話して記事を書いてもらうということもたまにあります(いわゆる借りを返す)。が、多用はしません。公平性は大事です。

●ニュースリリースの重要性の啓蒙
広告/プロモに軸足を移した私でさえ、ニュースリリースした情報の到達率が一番よく、効率的であることは知っています(SNSの登場後はとくに)。しかし、担当部署が発表を嫌がるような場合もときにあったりします(発展途上の大企業などで)。どうしてか? ニュースリリースは企業の発表の起点であり重みのある広報手段であることを過剰にとらえすぎ、得てして役員会で承認をもらわないと発表してはいけないなど一律のルールをはめたりするからです。つまり、担当者がそれを面倒くさがったりするのです。合併とか身売りとか世界を驚嘆させる新技術などの重大事案なら、第一級の統制を敷かなければなりませんが、普通の商品発表ぐらいでそれは大げさです。過剰な社内ルールで担当者がしなくていい苦労をすることもあり、同情すべき場合もありますが、だからと言って短絡的にニュースリリース発表にネガティブになるというのもどうかと思います。そこは責任をもって社内啓蒙をして良い方向に導きます。

●競合他社の動向調べ
唯我独尊。周りも見ずに広報戦略を立てることはしません。ニュースリリースの本数/内容の傾向を調査し、自社に足りていない傾向を掘り起こそうとしたり、見出しのつけ方を見習ったり、掲載記事から読み取れる記事誘導の巧みさなどについて勉強したり…同業他社はもちろん異業種の会社でも、良いものは積極的にまねをします。

報道対応について_できないこと

●育成
あまり丁寧にやってきませんでした。そもそもリソースが足りず、かつスピードが求められる仕事ばかりだったせいか(というのは言い訳ですが)、自分ですべてやってしまう方が楽でした。なのでつい。人を育てることを怠ってきたのは私の社会人生活の最大の失敗です。
今ではできなくはないと思いますが、黙ってオレのやることを見て覚えろという昭和の職人的な思考もありますので、しびれを切らしてしまうかもしれません。最低限、その仕事に覚悟を持って臨み、自分の頭で考えて行動できる人にならば丁寧に教えられるかもしれません。

●危機管理広報
大昔にいた会社で、とある米国企業に訴えられて騒ぎになったことがありましたが、幸か不幸か、その時点では私はまだ広報にいませんでした。工場の爆発事故で死者が出るという重大なインシデントに見舞われたこともありましたが、当時の私は未熟で、先輩たちが対処するところを見てきただけでした。なので経験値がありません。

訴訟沙汰、事件、事故などの極端なことではなく、通常の取材時、記者の思い違いなどを察知して軌道修正したり、取材時の注意事項として事前に社内啓蒙を図る。そんなことも危機管理広報というならば、上記に書いたように当たり前にできます。しかし、私の中ではそれらを危機管理広報の部類にはいれていません。

謝罪会見に関して事前に役員や幹部に研修を受けてもらうようアレンジする向きもあって、お望みであれば私も調整はできます。
ただ、最近は、テレビカメラが来るような謝罪会見では、誰彼構わず「取り合えず誤っておけ」とばかりに頭を深々と下げるケースが多すぎ、この現象はエンタメなのか?とすら思え、その趨勢には意を唱えます。ブランディング的には逆効果ですから。

本当に社会を騒然とさせ不特定多数に迷惑をかけた重大インシデントがあったのなら私もそのように演出しますが、迷惑をかけた相手が限定的な場合は、そこを見極め、テレビカメラの前と言えども謝るべき相手にだけ謝るという毅然さを出すようにアドバイスします。
そのようなやり方はもしかしたら危ういのかもしれません。吊るし上げ文化の日本では、他人の謝罪を見て、あるいは炎上騒ぎを見て、当事者でもないのに最低限の留飲を下げる傾向が強いわけで、そんな世間には一律に誤っておいた方が、一瞬の違和感は持たれるが最終的には得だという、そんな判断も考えられますから。いずれにしても私には専門的と呼べる知見はありません。

●効果測定
デジタルメディアになってアクティビテイーの効果測定が大分できるようになりました。クリック率はいくらでそれはいい方なのか悪い方なのか? 届いた先は狙いの属性だったのか? 好感度はいくら上がったのか? 盛り上がり度はどれほどだったのか? SNSによる拡散も含めどこまで情報が到達したのか? 受け手が態度をどう変容したか? 最終的にどれだけ売り上げに貢献したのか? 大分類推できるようになりました。しかし、昔ながらの印刷物の広報誌や広告などについては、事後のアンケートなどを頼るしかなく、厳密に求められると困ります。

ニュースリリースをベースにした記事にしても、どれだけ効果があったかが厳密に求められる場合があります。そんなときは、掲載された記事の面積から「これが広告だったらこれぐらいの掲載費を払っていたはずで、それを広告代理店に金を払わずに実現しました」というようなレポートがたいてい作られます。しかし、そういう方法はナンセンスです。分かっていない幹部に「そうか広報というのは金のかからない都合の良い便利な方法なんだな」という本質を外したとらえられ方をされてしまい、自分で自分の存在価値を貶める行為になりかねません。広報や広告の真の効果は、普通にビジネス生活をしていれば評判という形で客先やパートナーから、社内から、場合により家族/友人などから届いて自ずと実感できるものです。まずは、経営陣がそういうものをひろうセンスを身につけるのが先決であろうかと思います。


思いのほか長くなったので、続きの「企業ブランディング」「広告」「オウンドメディア」「SNS」に関わる「できること、できないこと」は別のブログに分けて記載いたします。

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