世の中には不思議な歌がある。

例えば「I Started a Joke」。

Bee Geesの次男、ロビン・ギブが中心となって作り1968年に発表された楽曲で、ボーカルも自身が務めている。美しく切なくなる旋律で、ロビン・ギブ特有の自然に震えるような美声で歌われると胸が締め付けられるようになる。名曲だ。

勝手にラブソングだろうと思い込み、長年その曲の雰囲気を堪能するのみだったが、どうも奇妙な詞だなあということに、最近やっと気づいた。こんな感じだ。

I started a joke, which started the whole world crying.
But I didn’t see that the joke was on me, oh no.
僕がジョークを口にすると、世界中が泣き始めた。だけどそのジョークが僕自身に向けられたものだったとは。ああ、なんてことだ。

I started to cry, which started the whole world laughing.
Oh, if I’d only seen that the joke was on me.
僕が泣き始めると、世界中が笑い出した。ああ、そのジョークが僕自身に向けられたものだったとわかってさえいたら。

I looked at the skies, running my hands over my eyes,
and I fell out of bed, hurting my head from things that I’d said.
手をかざし空を見上げたら、自分の言ったことに驚いて
ベッドから落っこちて頭をけがをしちゃった。

どういうことを言っているのだろうか? ひとつだけわかるのは、歌われてるのが「ズレ」であることだ。本人の行動と周囲の反応とのどうしようもない「ズレ」。冗談を言い始めたら世界が泣き始め、泣き始めたら世界が笑い出し、そしてついに僕が死んだら世界が生き生きとし始める。(Till I finally died, which started the whole world living.) 

ベッドから落ちてけがをするという間の抜けた(?)下りに至っては、とてつもなく美しい旋律との差が強調され、「ズレ」が徹底している。多分に言葉遊び的な詩でもあるらしく、実はあまり真剣に考えるほどのことでもないのかもしれないが、妙に深みを感じてしまう。

ふと、1968年というこの歌の発表年が気になった。

この時代、世界中が感じていた「ズレ」があったではないか。米国によるベトナム戦争への介入だ。よせばいいのに、米国はその傀儡国家だった南ベトナムの共産化を防ぐという理由で兵を送り込んだ。しかしジャングルに潜む北ベトナム兵士や、支援しているはずの南ベトナムに潜む北寄りの分子(いわゆるベトコン)に翻弄され劣勢を強いられる。

誰が敵で誰が味方やら、恐怖にかられた米国兵は老人も女性も子供も手当たり次第に殺戮するようになり、次第に南ベトナムの人々の心も離れていく。かすかに大義はあったはずなのに、長年戦っているうちに訳の分からない混沌に陥った。その混沌の中で周辺国の民間人も犠牲になるし、兵士も心を病みはじめる。

この時代、ある意味おおらかなもので、そうした戦場での無軌道な様子がそのまま米国でも報道され、お膝元で反戦運動が激化する(今ならロシアのようにフェイク報道をするだろう)。揚げ句の果てに敗戦とあいなり、米国はベトナムを追い出されるように撤退した。何だったの? と世界中に呆れと虚しさを提供し、世界は米国の所業に大きいズレを感じていた。

この楽曲はこうした状況にインスピレーションを得て、揶揄もしくは憂慮して作られたのではないだろうか、と思えてくる。同じように感じる人もいるようで、このような動画をYouTubeで見つけた。→https://www.youtube.com/watch?v=TvfqSHmdtP0

ロビン・ギブ自身は2009年11月1日付の「The Mail」誌で、「これはとてもスピリチュアルな歌で、聞く人自身が好きなようにとらえたらいい」と語っている。お言葉に甘えると、この歌は美しくも痛烈かつ皮肉たっぷりの反戦歌ではなかろうかと思えてくる。

であるならば、2022年3月の今は、この歌をプーチンという最悪の子ども大人に送るしかない。
ついに自分の首と胴体がズレてしまわないようにするにはどうすべきか? よく考えるといい。

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